番組表
閉じる
メニュー
エンタメ・音楽
童謡でめぐる日本の四季
#130
子供たちに残したい 美しい日本のうた
2025年5月3日(土)午前11:00~ひる12:00
報道・ドキュメンタリー
昭和産業 代表取締役会長 新妻一彦 後編二度と社員のクビは切らない 決意した子会社廃業
#108
トップの源流
2025年5月3日(土)よる6:00~6:30
旅・くらし
はじたびっ! ~本州のはじっこ 山口と盛岡をふかわが行く~
はじたびっ!~本州のはじっこ 山口と盛岡をふかわが行く~
2025年5月3日(土)深夜1:30~2:30
情熱のアジアン・デッキディナー
#167
飛鳥物語II
2025年5月3日(土)午前9:55~10:00
梶田伸吾 株式会社comvey 代表取締役
#522
fresh faces
2025年5月3日(土)よる8:54~9:00
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
BS朝日×地方創生
BS朝日が取り組む地方創生:『発信』と『体験』“知る人ぞ知る地域の魅力”にフォーカス
BS朝日セールスサイト
効果的な広告配信でビジネスをサポート。 お気軽にご相談ください。
京都の甘納豆を製造する4代目が作るのは、なんとジェラートだ。甘納豆は、豆を砂糖漬けして作るものだが、これまでは廃棄していた砂糖漬けのシロップを、ジェラートにするなら活用することができる。さらに豆や豆乳と合わせれば、植物性原料だけで作るヘルシーなジェラートになると考えた。 とはいえ、これまでジェラートを作ったこともなかった近藤。イタリアに修行に行くことを考えたが、世界チャンピオンは日本にいた。コロナ禍で通常業務ができなかった時期だったので、住み込みで働き、技術を習得した。かつて京大大学院で微生物を研究しており、実験や分析の作業が好きだった近藤には、脂肪分、糖分、水分、空気のバランスが出来を左右するジェラートは、恰好の研究材料だった。 甘納豆を若い世代に知ってもらいたいとイタリアに出展したことが、きっかけだった。甘い豆を食べる文化は日本独特で、反応はイマイチだった。世界中の誰もが食べるチョコレートやジェラートを甘納豆と組み合わせれば、知ってもらえるのではないか。近藤は、ピスタチオやカカオなど世界のナッツをそれに合う砂糖に漬けて、全く新しい甘納豆を作り出し、さらに新しいジェラートを生み出した。甘納豆の存在を世界に認知してもらい、イタリアに出店する、近藤はそんな夢を持っている。
1990年1月23日生まれ 子どもの頃、友人に「甘い納豆なんて気持ち悪い」と言われ、家業を継ぐのは絶対嫌だと 思っていた近藤。京大に進学し、研究者を目指していたが、社会経験として地元の節分祭で家業を手伝ったとき、3000人のお客さんが甘納豆を買いに来る盛況ぶりに、好きな研究をやれていたのは甘納豆のおかげだと気付き、家業に恩返しをしたいと考えた。
前へ
京都の甘納豆を製造する4代目が作るのは、なんとジェラートだ。甘納豆は、豆を砂糖漬けして作るものだが、これまでは廃棄していた砂糖漬けのシロップを、ジェラートにするなら活用することができる。さらに豆や豆乳と合わせれば、植物性原料だけで作るヘルシーなジェラートになると考えた。
とはいえ、これまでジェラートを作ったこともなかった近藤。イタリアに修行に行くことを考えたが、世界チャンピオンは日本にいた。コロナ禍で通常業務ができなかった時期だったので、住み込みで働き、技術を習得した。かつて京大大学院で微生物を研究しており、実験や分析の作業が好きだった近藤には、脂肪分、糖分、水分、空気のバランスが出来を左右するジェラートは、恰好の研究材料だった。
甘納豆を若い世代に知ってもらいたいとイタリアに出展したことが、きっかけだった。甘い豆を食べる文化は日本独特で、反応はイマイチだった。世界中の誰もが食べるチョコレートやジェラートを甘納豆と組み合わせれば、知ってもらえるのではないか。近藤は、ピスタチオやカカオなど世界のナッツをそれに合う砂糖に漬けて、全く新しい甘納豆を作り出し、さらに新しいジェラートを生み出した。甘納豆の存在を世界に認知してもらい、イタリアに出店する、近藤はそんな夢を持っている。
こんどう たけし
1990年1月23日生まれ
子どもの頃、友人に「甘い納豆なんて気持ち悪い」と言われ、家業を継ぐのは絶対嫌だと
思っていた近藤。京大に進学し、研究者を目指していたが、社会経験として地元の節分祭で家業を手伝ったとき、3000人のお客さんが甘納豆を買いに来る盛況ぶりに、好きな研究をやれていたのは甘納豆のおかげだと気付き、家業に恩返しをしたいと考えた。