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#43

秀吉の正室ねね 波乱の人生

今年は、豊臣秀吉の正室であり、豊臣政権の陰の立役者とも呼ばれる「ねね」没後400年。今回は賀来千香子さんが、ねねが晩年を過ごした京都のゆかりの地を巡りながら、彼女の波乱の人生に迫ります。
まず注目するのは、ねねの青春時代。秀吉とねねが結婚する際に2人の間を取り持った大親友ゆかりの寺院、大徳寺塔頭、芳春院へ。ねねも眺めたと伝わる、非公開の建物を拝見。秀吉との結婚にまつわる逸話から浮かび上がる、若き日のねねの覚悟とは?
続いて注目するのは、秀吉が天下統一し、夫婦で迎えた人生の絶頂期。二人を襲った悲劇について探るため訪ねたのは、智積院。国宝の障壁画が伝える、秀吉の深い悲しみ。さらに思いを馳せるのは、ねねのたくましき姿。ねねが「戦国時代のグレートマザー」と呼ばれる所以が明らかに。

続いて、秀吉の死後、晩年の19年間を過ごした場所、高台寺の塔頭、圓徳院へ。ここでは、当時のねねが、いかに周囲の人に慕われていたかが分かると言います。まず見せて頂いたのは、秀吉の念持仏と伝わる「三面大黒天」。さらに、都を代表する圓徳院の「北庭」へ。秀吉とねねが暮らした伏見城から移したというこの庭。その特徴的な石組みが物語る、ねねの人望の厚さとは?
圓徳院の目の前には、ねねが毎日のように通っていたという場所があります。秀吉の菩提を弔うためにねねが創建した高台寺。特別に、秀吉とねねが眠る霊屋の中へ。また、この寺には、豊臣家を守ろうとしたねねの熱い思いをうかがえるものがあると言います。それが、創建当時の梵鐘。そこに刻まれていた、驚きの文字とは?近年の調査で明らかになった、ねねの人柄を示す貴重なお宝も。
都を巡ると見えてくる、意外な歴史。ユニークな現役高校教師、浮世博史さんの案内で、今、注目が集まるねねの素顔を探ります。


【専門家出演者】
●西大和学園中学高等学校 教諭
 浮世 博史 さん

 


 

秀吉の正室 ねね 波乱の人生
2024年は、豊臣秀吉の正室「ねね」没後400年。今回は賀来千香子が、ねねが晩年を過ごした京都のゆかりの地を巡りながら、彼女の波乱の人生に迫る!

 

豊国神社 神となった夫婦
旅の始まりとなるのは「豊臣神社」。秀吉が祀られている本殿の隣に立つ貞照神社に、ねねは神として祀られている。二人が結婚したのは1561年で、秀吉は24歳、ねねは14歳であったという。

 

<豊国神社>
・住所:605-0931 京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530
・電話:075-561-3802

 

芳春院 生涯の親友 まつ
今回特別に撮影が許された「大徳寺塔頭 芳春院」で、ねねの大親友・まつについて教えていただいた。武家出身のねねと、農民出身の秀吉という身分違いの結婚を取り持ったのは、前田利家とまつなのだとか。
さらに、呑湖閣が望める絶景スポットを満喫し、まつの墓・霊屋も案内してもらった。まつは71歳で生涯を終えたが、亡くなる直前に金沢から京都に来て、ねねと会ったという。

 

<大徳寺塔頭 芳春院>
・住所:〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町55
・電話:075-492-6010

 

智積院 絶頂期を襲った悲劇
続いて訪れた「真言宗智山派 総本山智積院」で、国指定名勝の智積院庭園を拝見!この庭は、秀吉が亡くなった息子・鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺から引き継がれたという。
秀吉と側室・茶々(淀殿)との間に産まれた鶴松の死が、ねねにとっても悲劇であった理由とは?

 

<真言宗智山派 総本山智積院>
・住所:〒605-0951 京都府京都市東山区東瓦町964
・電話:075-541-5361
・公式サイト:https://chisan.or.jp/

 

智積院 戦国時代のグレートマザー
秀吉の悲しみを伝える国宝を拝見し、鶴松とねねの関係を教えていただいた。ねねは子宝に恵まれなかったが、鶴松を我が子同然に育てたほか、有名な武将たちの子供も育てていた!
もし、ねねが豊臣秀頼の教育をしていたなら、豊臣の運命は変わっていたのかも?!

 

圓徳院 19年過ごした晩年の地
続いてやってきたのは、ねねが晩年を過ごした「高台寺塔頭 圓徳院」。秀吉の念持仏・三面大黒天を拝見した後は、ねねの人望の厚さを物語る北庭へ。
庭にある大小50の巨石は、家臣の武将がねねの住まいの為に持ち寄ったものであるのだそう。

 

<高台寺塔頭 圓徳院>
・住所:〒605-0825 京都市東山区下河原町530
・電話:075-525-0101
・公式サイト:https://www.kodaiji.com/entoku-in/

 

高台寺 都で守る豊臣家
「高台寺」は、秀吉の菩提を弔うため、ねねによって江戸時代初めに建立された。ねねが毎日のように渡ったという臥龍廊を特別に渡らせていただき、霊屋の内陣へ。波乱の人生を共に過ごした、ねねの秀吉への深い愛情を伺うことができた。
豊臣家を守ろうとした、ねねの強い思いを今に伝える高台寺創建時の梵鐘に刻まれた驚きの文字とは?!
さらに近年の調査により、ねねが着ていた小袖から、仏具を載せる敷物・打敷が作られていたことが判明したという。

 

<高台寺>
・住所:〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町526
・電話:075-561-9966
・公式サイト:https://www.kodaiji.com/