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#134

豊臣兄弟 秀吉・秀長4つの転機

大河ドラマで注目を集める豊臣兄弟。農民から天下人へと成り上がった秀吉には、「4つの転機」があり、そのすべてに弟・秀長が深く関わっていたのです。俳優・内藤剛志さんが、その転機と二人の絆に迫ります。
旅の始まりは滋賀県・長浜。現在の長浜城は昭和になり建てられたものですが、かつてここに秀吉が初めて築いた居城、長浜城が建っていました。実はその長浜城こそ、「豊臣兄弟の始まりの場所」とも言われています。天守に登り、二人も見ていたであろう雄大な琵琶湖の絶景を望みながら、なぜこの地が豊臣兄弟の始まりの場所なのか、その理由に迫ります。

続いての転機は、本能寺の変で命を落とした主君・織田信長の仇をとるため明智光秀と衝突した「山崎の戦い」。戦いの舞台となった山崎へ向かうため、滋賀から京都へ。本能寺の変の当時、秀吉は備中高松で毛利軍と戦いを繰り広げていました。しかし、本能寺の変の報せを聞いた秀吉は、戦いを即座に終わらせ、「中国大返し」を敢行。山崎に入り、明智光秀を破ります。秀吉が本陣を構えた宝積寺を訪れ、勝敗を分けたキーポイントとなった「山」に注目。その名は「天王山」。重要な勝負の局面を指す言葉の由来を紐解きます。この天王山で、秀長は極めて重要な役割を任されていたといいます。
3つ目の転機は「織田信長の葬式」。山崎の戦いから100日後、秀吉は京都・大徳寺で7日間にも及ぶ壮大な信長の葬式を執り行います。大徳寺の塔頭・ 総見院を訪れ、普段は非公開の信長の木像を拝見。実はこの像は2体造られ、1体は葬式の際に焼かれたため、現存する像は信長の姿を限りなく忠実に伝えているといいます。この葬式でも、秀長が果たした重要な役割とは?
最後の転機「賤ヶ岳の戦い」は、織田家の重臣・柴田勝家と秀吉が、信長の後継者の座をかけて激突した決戦です。再び滋賀へ向かい、秀長が本陣を構えた田上山の麓に鎮座する「意冨布良神社」を訪問。ここで秀長が担った「本陣を守る」という重責と、秀吉が寄せた絶大な信頼を、書状を通して読み解きます。さらに、戦いの激しさを今に伝える湖にも足を運び、兄弟で勝ち取った天下への道を辿ります。
兄弟の絆が切り拓いた天下への道。その真実を紐解く旅です。


【専門家出演者】
●歴史作家
 河合敦さん