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#259

綿井健陽が取材 バフムト近郊“戦禍の街の人たち”

ロシア軍が迫る中で、ウクライナの人たちは何を思い、どのように生きているのでしょうか。ジャーナリストの綿井健陽さんが激戦地バフムト近郊の街を取材しました。2023年4月16日『BS朝日 日曜スクープ』は、綿井さんが取材した映像を特集し、戦闘が激化しても街に残る人たち、街を離れざるを得なかった人たちの思いを綿井さんに解説していただきました。

放送内容は動画でもご覧になっていただけます。

【綿井健陽ルポ戦禍の街】砲撃続く〝バフムト近郊〟日常の現実と痛苦◆日曜スクープ◆

⇒ テレ朝news
⇒ ANNnewsCH

去年の綿井さんのウクライナ取材も、テキスト化して掲載しています。

⇒ 2022年6月12日 戦禍のウクライナ 綿井健陽が取材”奪われた日常”

■戦禍の街…響き渡る砲撃の音


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

激しい戦闘が続く、ウクライナ東部ドネツク州の要衝バフムト。2月下旬、バフムト近郊の街にジャーナリストの綿井健陽(わたい・たけはる)さんが向かいました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井健陽

「かなり道は悪くて、かつ砲声の音が時折、外で響いてます」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

激戦地バフムトから直線距離で、およそ10km。ウクライナ軍のバフムトへの反撃拠点の一つになっているチャシウ・ヤルを目指します。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井健陽

「いまチャシブヤールの街に近づいているのですが、民家は両脇に見えますが人影はないです。この辺りにはほとんど人が住んでいないと思われます」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

撮影:綿井健陽(アジアプレス)

街に近づくにつれウクライナ兵や軍用車両と頻繁にすれ違います。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井健陽

ここはチャシウ・ヤル?

通訳

はい、もうチャシウ・ヤルです。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

ロシアによるウクライナ侵攻前は、この街には、およそ1万2000人の住民が、暮らしていました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井健陽

「断続的に砲声音が鳴り響いています」

(ドーン)「怖い、怖い、怖い…なんと言ってもこの音が怖いですね。この音の中で今も人々が暮らしていることに、非常に驚きを感じます」

砲撃音の多くはウクライナ軍の攻撃です。しかし、反撃拠点の一つであるがゆえ、ロシア軍に狙われます。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

撮影:綿井健陽(アジアプレス)

「ここは一週間前に爆撃を受けた場所です」

綿井健陽

「1週間前に、ここは爆撃を受けて、まだ焦げ臭いです」

去年7月には、チャシウ・ヤルの集合住宅がロシア軍によるロケット砲の攻撃を受け倒壊。多数の住民ががれきの下敷きとなり、48人が死亡しました。

さらに今回、取材中だった2月27日、ロシア軍の砲撃によりチャシウ・ヤルのスーパーマーケットが炎上しました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

街に残る男性

「ほんとうに酷い状況だ。砲弾が住宅を襲ってくる。この町にある家は半分がやられている」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

街の中心部にある広場には水を求めて住民が集まっていました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

街に残る女性(67)

「水も出ないし。ガスも止まっていて、アパートの中は7度です。電気もありません」

ロシア軍の攻撃によりチャシウ・ヤルでは、水や電気、ガスなどのライフラインは断続的に止まっています。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

こちらの建物では、パンなどの食料の配給が行われていました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

街に残る女性(85)

「パンをもらうために3時間歩いたわ」

Q. 一人暮らしですか?

「病気の息子と暮らしています。息子は脳に障害があります」

85歳の女性は、息子の介護のため避難できず、街に残っていると話しました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

撮影:綿井健陽(アジアプレス)

砲撃が絶え間なく続き、インフラも止まる中、およそ3000人が、避難せずにチャシウ・ヤルに留まっていました(2月下旬現在)。危険な状態でも街に残る住民は、それぞれ理由があるといいます。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

支援団体代表 トゥカチョフさん(54)

「残る人の多くは社会から疎外されている人たちや年金生活者です。あとは、人道援助を必要としている人たちです。そして、子供のいる家庭です。彼らは父親が、避難する途中で徴兵されることを恐れているのです」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

こちらの男性も、避難しないで残ることを選択しました。

「私はウクライナ軍が盛り返すと信じています。だから避難しないでここに残っているのです」

Q 今、必要なものは何ですか?

「ただ静けさが欲しいだけです」

■戦禍の街…残り続ける“理由”


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井さんが、街で取材を続けていると自転車で水を運んでいる女性に出会いました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

リュドミラさん(43)

「最近、このあたりも砲撃され死傷者がたくさん出ました。幼い男の子が、足の動脈から出血する大ケガを負ったんです」

シングルマザーのリュドミラさんもこの街に留まっている住民の一人です。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

凍った道を歩くこと1時間。家に着きました。

リュドミラさん(43)

「どうぞ、お入りください」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

撮影:綿井健陽(アジアプレス)

家の中にお邪魔すると、水道は全く出ず…電気が止まっているので冷蔵庫も使えない状況が続いていました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

こちらは息子さんの部屋です。

リュドミラさん(43)

「これは息子のギターです。全然、掃除してないのでホコリだらけよ」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

ロシアによる侵攻前は、看護師をしていたリュドミラさん。戦闘が激化し始めた、去年7月にひとり息子をウクライナ中部へと避難させました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

リュドミラさん(43)

「息子はもうすぐ20歳になります。医者になるために勉強しています。ウクライナのために役に立ってほしいです」

Q. なぜあなたは息子さんと一緒に行かなかったのですか?

「出て行くこともできました。でも、母がここにいるのです」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

1か月前には、自宅の裏が爆撃され近所の人が亡くなりました。危険が迫っても、金銭的な理由により、避難したくても避難できない人も多いといいます。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

リュドミラさん(43)

「このあたりは、みんな避難してしまいました」

リュドミラさんの自宅から歩いてすぐの場所に、母親の自宅があるということで向いました。この周辺では、リュドミラさん親子以外は、ほとんどの住民が避難しました。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

リュドミラさん(43)

「ママ、出て来て。取材に答えて欲しいの。日本人が来たのよ」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

母親のバレンティナさん(72)

「こんにちは」

リュドミラさんの母親、72歳のバレンティナさんです。足が悪いため、避難できずに自宅に留まっています。

母親のバレンティナさん(72)

「何と言えばいいのか…爆発、攻撃、常に恐怖の中で暮らしているわ。私はウクライナの領土解放を望んでいます。足が悪くて避難が出来ないので、娘がパンと水を持って来てくるのです」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

命の危険や恐怖の中での生活が続いていても、他の場所に住んだこともなく、ここで暮らし続けると訴えます。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

母親のバレンティナさん(72)

「水が出ないの こうして回しても…」

「そこにはラベンダーが咲いていたの。周りの家も破壊されてしまった」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

母親のバレンティナさん(72)

「私たちは。ロシアに踏みつけられたままではいない。私たちは独立した豊かな国に住みたいのです。私たちはすべてを再建します。そのためには、彼らを追い出す必要があるのです」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

綿井さんが取材を終えて、道に戻ると…。

「急げ」 (砲撃音:ドーン)

まさに、その時、すぐそばでウクライナ軍の砲撃が始まっていたのです。

■バフムト近郊「全身に響くような音がずっと…」

上山

ここからは、激戦が続くウクライナ東部で取材を重ねてきた、アジアプレスの綿井健陽さんにお話を伺っていきます。どうぞ宜しくお願いいたします。

綿井

宜しくお願いします。

菅原

綿井さんはジャーナリストであり、映画監督でもあります。これまでアフガニスタン、そしてイラクなどで戦争取材を行ってきました。去年3月にもウクライナに入りまして、キーウの人たちやブチャの虐殺現場などを取材されています。

今回の綿井さんの取材ルートは、青いラインです。1月下旬にポーランドのワルシャワから首都のキーウに入りまして、その後、ウクライナ東部を中心に取材を行いました。そして2月下旬には、激戦地バフムト近郊のチャシウ・ヤルという街も取材されました。

綿井さん、今回はなぜこういった街を取材されたんでしょうか。

綿井

今回、ロシア軍の侵攻から1年ということもあって、この1年間、東部でずっと戦闘が続いてきたと思いますので、戦況ではなく、やっぱり、そこで暮らしている人がどういう状況にあるか、どういう思いでいるのか、それを知りたいと思って、主に東部エリアの取材に入りました。

菅原

その綿井さんが取材されましたチャシウ・ヤルは、どういった街なのでしょうか。ロシア軍の侵攻前は、人口が約1万2000人でした。しかし、綿井さんが取材されました2月下旬の時点では、7割以上の人が避難をしていて、街にとどまっているのは、約3000人だったということです。

現在は、戦闘が激化したため、さらに減少し、約1500人ほどと見られています。電気、ガス、水道など、インフラは断続的にストップしているということです。

上山

では改めて、チャシウ・ヤルの街の位置関係を見ていきたいと思いますが、こちらがバフムトです。中心部からは西に10kmのところにあるのがチャシウ・ヤルです。

ロシア軍が支配しているのが赤いエリア、そして黄色の戦闘が行われている地域、最前線からチャシウ・ヤルにはわずか2kmほどで到達します。このチャシウ・ヤルについては、今年に入ってから番組でも、ロシア軍がこの街の手前まで迫っていることをお伝えしてきました。綿井さんはチャシウ・ヤルに初めて入った時に、まずどんなことをお感じになりましたか。

綿井

他の東部の街に比べて、とにかく砲撃音が本当に激しくて、音のレベルの強さや耳で聞く衝撃じゃなくて、全身に響くような音がずっと続いていました。ですから他のエリアに比べると、もう本当に戦闘が近い地域だなと思いました。かつ、ウクライナ軍がそこから盛んに反撃もしていましたので、ウクライナ軍側の反撃の音と、ロシア軍の攻撃の音、それらが入り交じるという感じだったんです。

戦争の現場は、基本的にいろんな音が、これまでのイラクやアフガンの取材でも聞こえてくるんですけども、そういった他の場所と比べても、その近さ、怖さ、音の恐怖というのは、やはり僕も感じました。一方で、にもかかわらず、住民がそこでまだ暮らしていると、私が行った時点で3000人 から 4000人ぐらいが暮らしているのは、ちょっと驚きましたね。

■“戦禍の街”砲撃の音に住民は…

上山

今、綿井さんがおっしゃった音、砲撃の音が町の中心部で鳴り響いているということなんでしょうか。

綿井

もうこれはチャシウ・ヤルに入った途端に、本当に断続的に聞こえてきまして、場所に関係なく。近いところだと本当に戦闘エリアから数kmというところです。やはりあちこちで、実はウクライナ軍も攻撃をしているので、その砲撃音はもっと強く聞こえますね。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

私は驚いたんですが、実は住民の皆さんは本当に、そうした音に慣れていました。特にウクライナ軍の砲撃の音ではもう全然驚かない。皆さん、聞き分けられるようになっていて、ロシア軍の攻撃の音の時だけは、ちょっとこう構えるというような、そういう状況だったですね。

上山

ウクライナ軍の攻撃の音と、ロシア軍の砲撃の音は聞き分けられるのですね。

綿井

住民の皆さんはそういう感じです。だから見てもらっても分かりますように、ウクライナ軍側の音が聞こえてきても、彼らは本当に驚かないですね。

上山

ただ、砲撃の瞬間ごとに、撮影した画面が振動するわけですから、相当、体感としても、衝撃はあるのかなと思うのですが、住民の方々、これだけ砲撃の音が鳴り響いている中で、防空壕とかに避難されることはあるのですか。

綿井

例えば首都のキーウだと、空襲警報というのが1日に何度も鳴るんです。いわゆる集合住宅の場合は地下に地下室があって、シェルターに避難する場合が多いんですが、こういった東部の小さな町だと一軒家、平屋の家が多いので、そういった場合、ここに住んでいる人たちは、どこか1ヵ所に避難するのではなくて、基本的にそれぞれの家に、そのまま昼も夜も暮らしているという状況です。逃げ場、いわゆるシェルターとか防空壕というのはないです。それから、こういった場所では空襲警報さえ鳴らないんですよね。ずっと音がとにかく響いている。逆にちょっと静かになると、不気味さを感じるというような、そういう感じです。

上山

ここまで駒木さん、チャシウ・ヤルでの綿井さんの取材を見ていて、どんなことをお感じになりましたか。

駒木

まさに前線ですよね。バフムトが今、最大の激戦地で、そこに至る、厳重な包囲を唯一、免れている西側の要衝ということで、それだけロシアも非常に攻撃を仕掛けているということだと思うのですけど、かなりロシア軍が迫っているような実感というのはありましたでしょうか。

綿井

私が入った2月下旬は、ちょうどロシア軍が非常に攻勢をかけてウクライナ軍は劣勢だったんですね。かつ、ウクライナ側がバフムトを撤退するんじゃないかという説も出ていたんです。隣接しているチャシウ・ヤルも激しく攻撃の迫ってくる感じはもちろんあるんですが、やはり住民の皆さんは、さほど恐怖を感じないと言いますか、本当に戦争の日常がずっと続いているという感じだったですね。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

上山

チャシウ・ヤルがバフムトからは中心部からは10kmですけれども、綿井さんはチャシウ・ヤルから、バフムトに行こうとすることはあったのですか。

綿井

はい。実は2月の中旬ぐらいまでは、バフムトはもうとにかく海外メディアを中心に、沢山のジャーナリストやカメラマンが頻繁に、いわば毎日のように通っていたんですよね。民間の車両でも本当に行き来していたんです。2月下旬ぐらいに入って、急激にロシア軍の攻撃がバフムトを中心に激しくなって、今、(画面の地図に)出ている道路がなかなか通れない、非常に危険だということになって、私と一緒に同行していた通訳と運転手も、今、バフムトに行くのは危険だと。

それでバフムトの中に入るのは見送りまして、このチャシウ・ヤルの方に切り替えたという感じなんですね。ですから、3月以降もバフムトを映した映像、今でもそうですが、やはり「ウクライナ国防省提供」やウクライナ軍兵士が撮った映像が多いんですけれども、今、メディアが直接撮った映像というのは減っていますよね。ウクライナ側も3月以降は、バフムト周辺の立ち入りを非常に厳しく管理するようになりましたね。

■“戦禍の街”残り続ける人たち「本当に強い意志」

上山

バフムト市内は非常に危険な状況だということなんですけれども、チャシウ・ヤルにはロシア軍も迫ってきている中で、住民の方々のライフラインですね。水道、電気なども断続的に止まっている状況だと。皆さんどうやって生活なさっているんでしょうか。

綿井

特に戦闘が激しい東部エリアにも物資の支援、政府あるいは民間の支援が毎日行われています。チャシウ・ヤルも水の供給は毎日行われていますし、食糧に関しても定期的に物資が運ばれているという状況で、本当に驚きました。例えば僕なんかは、防弾ベストやヘルメットを被っているんですけど、住民の皆さん、あるいは支援団体の人は丸腰のまま活動していたりするという状況でした。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

ですから、いわゆる物資に関しては何とか行き渡っている状況でした。しかし、通常の電気や水に関しては丸一日、ずっと来ているというようなことはなくても、断続的に、止まっては少し出たり、電気も昨日は1日中来なかったとか、そういう状態ですね。

菅原

水や食料の配給もあるということですが、綿井さんは今回こういった映像も撮ってきてくださいました。こちらをご覧いただきたいんですが、高齢の女性が食糧配給の場所にやってきました。その時にバッグの中から手に取って提示しているのが、パスポートだということなんですね。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

しかも、4枚のパスポートを提示してから、食料を受け取っているということなんですが、綿井さん、これはなぜパスポートを提示しているのでしょうか。

綿井

パスポートに限らず、住民登録証などを見せて、一応1人あたり、例えば水ですと、5リットルの大きいボトルを1回につき2本までとなっているんですが、実はそんなに厳密に身分証明書もチェックしているわけではなくて、来た人にはほとんど一応見せてもらって渡しています。中にはやっぱり1度受け取って、また2回並んだり、そういったものも基本的には何と言いますか黙認という感じで。ただ、並んでいる列のところで、時々私が行った時も諍い、列の割り込みなどはやはりあったりしましたね。

菅原

パスポートを4枚見せているというのは、どういうことなんですか。

綿井

4人家族ですね。結局、家族全員で取りに来ることはないので、誰か代表者が来た場合、今、4人で住んでいるので、4人分くださいといった形で伝えるということですね。

上山

チャシウ・ヤルでロシア軍の攻撃によって命を落とす危険もあると思うんですけれども、それでもやっぱりこの街にとどまるという、皆さんはどういった思いがあって、この街に住み続けるという選択をしてらっしゃるんでしょうか。

綿井

先ほどのVTRでも出ていましたけど、皆さん、本当に強い意志なんですよね。そこに残りたいという人がほとんどです。一方で、実は身体に障害を負った人や精神的に障害を負っている人たちが、結構残っているんですね。そういった人たちは、支援団体が何とか別の場所に移送、搬送しようということも何度か、今まで試みたそうなんですが、なかなかそこを離れられない。

また、残る意志以上に、新しい場所に移ったところの生活を恐れている人が、特に高齢者や障害者がそうなんですけれども、非常に多い。これは実はイラク戦争の時もそうだったんですよね。戦争が始まる直前、実は国外も含めてですけど、脱出する人は少なかった。聞くと、やっぱり1度そこを離れてしまうと、もう2度と戻ってこれないんじゃないかと訴える人、それから、こういった場所だと家を離れてしまうと、家が占拠されてしまうのではないかとか、もう二度と戻ってこられないという考える人たちは、危険があっても残るという選択をする人は今でもいますね。

■「インフラ復興で日本ができることを…」

上山

末延さんはここまでご覧になっていかがですか。

末延

実は綿井さんとは20年前にイラクのバグダッド取材で一緒で、ホテルの部屋が隣だったのでカレーのルーを分けてもらったんです。

綿井

多分、それ僕の方がもらったんじゃないかと。

末延

物々交換だったんです。僕はカレーを作ることが出来て非常に助かったということで、お会いしたらお礼を言おうと思っていたんです。ジャーナリズムに国境はないんですが、同じ日本語を話す平和な戦後に育った我々の中のジャーナリストが現地に行って、目と感覚(耳)で感じたことを伝えることは、視聴者の皆さんにより分かりやすく伝えるということで非常に意味があって。綿井さんはずっと元気にやっておられる、尊敬申し上げているんです。僕のささやかな経験で言うと、映像は大事なんですが、次に音なんですね。その音の感じ方って、全身がしびれるっていう感じ。あの音の感じは間違いなく、ああいうところに身を置かないと、あの湧き出るような恐怖感というのが分からない。つまり、戦争のつまらなさというのは、ああいう時にすごく感じるんだと思うんです。

それからテレビは、匂いは伝えられないので、これは現場にいた人が見た、汚い戦争をやっていますからね、そういう部分は伝え続けてほしいなと。一番大事なのは、先ほど質問があった、どこが危険なラインかなんですよ。どこが安全基準と東京で決めたところでダメなんです。現場でその都度、危険なラインが動いて取材可能な場所が決まっていく。それをやっぱり、地元のコーディネーターの情報をしっかり判断をしながら、怪我しないようにやっていく。それはすごく大事なので、そういうことを含めて綿井さんはベテランだから、綿井さんが実際に撮ってこられたものを伝えていただくことで、現地の状況がより分かったなと。

あと日本は、戦場支援は難しいんだけれども、やっぱりインフラの復興に向けて、どのくらい日本がやれるのかというところを、技術的な問題も含めて、僕らはこれから手探りで考えていかなきゃいけないかなと。確かに食糧は来ているとおっしゃったが、最終的には水が浴びれない状況で生きている人間というのがどれだけ辛いかっていう。地震の時もそうですが、そんなことを考えなきゃいかんと、今、見ていて思いましたね。

■戦禍の街から避難した人たちも…

上山

ロシア軍による攻撃の激化で避難を決断する方も増えているということです。

この後は、綿井さんが現地取材をした避難拠点の街について詳しくお伝えします。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

ウクライナ東部の主要都市、クラマトルシク。ここに激戦地、バフムトや、その周辺から戦禍を逃れる人たちが次々と避難しています。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

Q. バフムトに家族や親戚は?

バフムトから避難 マルハリータさん(70)

「誰もいません。息子は殺され、家は焼け落ちました。財産はすべて焼かれました。何もないんです。ボロボロのリンゴの木が残っているだけです」

「魂が引き裂かれそうです。故郷を離れたくない。64年間もバフムトで暮らしてきました。そして今、私は離れなければならない、もう何も残っていないか」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

こちらの夫婦はバフムト近郊の街、チャシウ・ヤルから避難してきました。妻は数学の教師をしていたそうです。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

Q. なぜいま避難することにしたのですか?

数学教師をしていたナディアさん(59)

「攻撃があるからです。夫の世話ができないし、料理もできません。夫は2日間も寒いところに寝かされていたんです。缶詰を食べながら過ごしたのです。それにインスリンの注射が必要なんです」


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

避難民を受け入れているのは教会です。こちらでは大勢が同じ部屋に寝泊りをします。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

数学教師をしていたナディアさん(59)

「私たちはまだ生きています。しかし、私の隣人は死にました。水を汲みに行って、肺を撃たれて貫通しました。もう一人の隣人は、落ちてきた砲弾で心臓を吹き飛ばされまました、なんと言ったらいいんでしょう」

「あなたもそれを見たでしょう。街が地球上から消し去られようとしています。あちこちから撃ってくる。ロシア軍が私を攻撃する。これは事実なのです」

■「不安な運命に翻弄される人たち」「日本は避難の支援を」

上山

避難してきた方々も、心に大きな負担を負っているということが伝わってきます。きょうは、激戦が続くウクライナ東部で現地取材を重ねてきたジャーナリストの綿井健陽さんにお話を伺っています。故郷に残り続けた人たちも、戦闘が激しくなるということで、心身ともに限界に達して避難するケースが増えているということです。

綿井さんは、チャシウ・ヤルからは北西に約25kmのところにあるクラマトルシクというところも取材しました。ここは交通の要衝ということで、バフムト、それからチャシウ・ヤル。こちらの周辺の住民の方々、まずはここに避難することになっていますが、あくまで仮の避難所です。ですから、ここにしばらく居たら、また各地に避難していかなければなりません。緊急避難的にクラマトルシクに来た方々、皆さんはどんな思いを抱えていらっしゃるんでしょうか。

綿井

クラマトルシクという場所は、軍事的なウクライナ軍の補給拠点でもあるんですけども、民間の、いわゆる支援の拠点でもあるんですよね。ここに避難、一旦移送して、先ほどのVTRにもありましたけれども、避難民の登録のようなものをして、希望先を聞いて、どこに移りたいか、ここからどこに避難したいかといった希望に応じて基本的に振り分けられると。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

私が取材した日は40人ぐらい、バフムト、あるいはチャシウ・ヤルから避難してきた人たちが集まっていまして、日によって本当に異なります。前日は9人ぐらいだったということですが、当時避難してきた人たちも、本当はずっとそこに残りたかったんだと。でも家も破壊されて、避難せざるを得なくなったという感じです。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

しかも、(映っているのは)教会のロビーなんですけれども、ここにずっといるわけではなくて、本当に短い人だと2,3日、あるいは長くても1週間ぐらいで別の場所に移動しますね。他の戦争と違って、ウクライナの場合、大規模な難民キャンプというようなものは基本的にないので、移った先で集合住宅の部屋が割り当てられたり、親戚の家に住んだりするケースが多いですね。

上山

駒木さん、避難した先でも安らぎがないという状況ですけれども…。

駒木

そうですね、クラマトルシクは今、ドネツク州の臨時州都が置かれているんですね。それで軍事面でも行政面でもセンターになっているわけです。ただ、去年4月にロシア軍が東部に重点を移すと発表した時に、クラマトルシクからも避難を呼びかけたわけですよね。

駅に集まっている人たちにミサイルが撃ち込まれて、大勢の方が亡くなった、去年4月のことですね。ということなので、やはり安全のためにはクラマトルシクからも避難していただかなきゃいけないということで、非常に落ち着く場所はない、不安な運命に翻弄されている住民の方々の姿を見ると、これがいつまで続くのかと本当に思いますよね。

上山

末延さん、本来は自分の土地で穏やかに暮らしていらっしゃった方々なわけですよね。こういった避難している方々も含めて支援が必要ですよね。

末延

生活の場を捨てる決断というのはなかなかできないです、物理的にも精神的にも。そのことをやっぱり僕らはもっと理解すべきです。ただ、状況は動きますからね。日本のように(憲法上)色々制約があると、どのくらいサポートできるのかというのは、もう1回改めて法律的な壁も含めて、議論した方がいいと。綿井さん、もうちょっと(日本が)サポートできないかなという感じを持つんですけどね。

綿井

基本的に日本ができることというのは、やはり軍事の支援じゃなくて、こうした住民や避難した人への支援だと思いますね。

■「ロシアの罪深さ、今後、長い世代に渡って」

上山

激戦が続くウクライナ東部での取材を重ねてきたジャーナリストの綿井健陽さんにお話を伺っていますが、綿井さんは今回の現地取材で非常に強く印象に残っていることがあると伺いました。それはどんなことだったんですか。

綿井

色々な場所を取材しましたけども、この東部、先ほどのチャシウ・ヤル周辺に関しては、あれだけ酷い状況にあっても、ウクライナ人の強い意志の一方で、痛々しさですね。

これは本当に表裏一体で、強い意志と痛々しさが両方1つになっていて、何と言いますか、もちろん兵士も沢山亡くなっている中で、民間人の痛々しさというのがいつも印象に残るんですが、一方でチャシウ・ヤルの人で何が必要ですかと聞くと、モノやお金ではなくて、「ただ静けさが欲しいんです」という彼の一言は、あの激しい音の中で暮らしている気持ちが本当によく分かりましたね。


撮影:綿井健陽(アジアプレス)

上山

駒木さんはウクライナについては、今後はどのような点に注目していらっしゃいますか。

駒木

今、拝見していて、あそこはドネツク州で、もともとウクライナの中ではロシアへの親近感が一番強かったところなんですね。ロシア語を話す方がほとんどですし、あるいは2019年の大統領選挙で、ゼレンスキー大統領が勝った大統領選挙ですけど、第1回投票で親ロ派と言われる候補が勝ったのはルハンシク州とドネツク州だけなんです。あるいはNATOへの加盟も非常に反対が多かった。

でも、今うかがっていると、非常にロシア軍への憎しみとか、あるいはウクライナ軍への期待。ウクライナ軍に守られているからそういうのかなと思ったけど、でもかなりそういう気持ちが非常に強くなっているように感じられるということで、そういう意味ではロシアのやったことの罪深さ、今後、長い世代に渡って後遺症が残るんだろうなということを強く感じました。

上山

末延さんはどうでしょうか。

末延

今の話はすごく大事で、ロシアは壮大なフィクションを作ったけど、実際にこれだけの汚い戦争をした結果というのは、もうみんな(世界は)忘れることはないですよね。だから、ディテールをきちんとね。情報は難しいですけれども、我々も放送を続けていく。忘れないでいるということが大事なことなのかなという気がしますね。

 
(2023年4月16日放送)
 

仏AFP通信のジャーナリスト、アルマン・ソルディン氏が5月9日、チャシウ・ヤル近くで取材中、ロシア軍の砲撃を受けて、亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。