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#163

真山仁が見た福島第一原発事故10年≪前編≫放射線との闘いの現場

東日本大震災、福島第一原発事故から10年です。『BS朝日 日曜スクープ』は、作家・真山仁氏と番組MCの山口豊アナウンサーが廃炉作業の現場を取材し、2021年2月14日、特集でお伝えしました。特集≪前編≫では、現場で継続する放射線との厳しい闘いに向き合いました。

 
⇒「真山仁が見た福島第一原発事故10年≪後編≫デブリ取り出し新たな壁」はこちら
 
⇒「真山仁が見た福島第一原発事故10年≪前編≫放射線との闘いの現場」の動画はこちらでご覧いただけます。
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⇒取材ロケのVTRはこちらでもご覧いただけます。
■真山仁が見た福島第一原発1放射線との闘い
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■真山仁が見た福島第一原発2核燃料取り出し
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■真山仁が見た福島第一原発3最難関のデブリ
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■世界で類を見ない廃炉作業

山口

東日本大震災、そして福島第一原発の事故から来月で10年を迎えようとしています。こちらの映像を見てください。これは現在の福島第一原発の様子です。きのう(2月13日)の夜、大きな地震がありました。この福島第一原発のある大熊町と双葉町では震度6弱を観測しています。福島第一原発では、メルトダウンした核燃料を取り出すという、まさに世界でも類を見ない廃炉の作業が行われています。これからも東日本大震災の余震を警戒しながら、廃炉の作業に挑むことになります。きょうはこの問題を特集としてお伝えしてまいります。では、きょうの特別ゲストをご紹介いたします。作家の真山仁さんです。真山さん、どうぞ宜しくお願いします。

真山

よろしくお願いします。

上山

真山仁さんは、ベストセラーの経済小説『ハゲタカシリーズ』の著者として知られていますけれども、その一方で、福島第一原発の事故の前から原発をテーマにした作品を執筆しています。真山さんは、原発へのこだわりと言いますか、どういった思いを持ってますか?

真山

最初からこだわりがあったわけではなくて、もともとエネルギー問題を小説にしたかったんですね。どうしても日本の場合、原発問題を取り上げるしかなかったんですけども、2008年に、中国で日中の共同で世界最大の原発を造った時に事故が起きるという小説(『ベイジン』)を書いたんですが、結果的に、それとほぼ同じような事故が起きてしまってですね、偉そうなことを言うと、警鐘鳴らしたんだけどな、と私は思っていたんですが、それが全然、警鐘にならず、いまだに原発に関しては、色んな情報が錯綜して、どうかすると思い込みが激しすぎて、あんまり正しい情報じゃないことがあるんですね。そうすると、私としては、ずっと小説で原発を色々な方向からですね、色んな方に伝えていくことをやらざるを得なくなってしまったっていうのが現状ですね。

上山

ずっと向き合ってらっしゃる?

真山

向き合ってるというか、振り回されてますけどね。

山口

真山さんと一緒に現場を取材して、本当に勉強になること多かったんですよね。後ほど、しっかりとお伝えしたいと思っております。いずれにしましても、昨日(2月13日)の夜の地震は本当に大きかったです。東日本大震災からちょうど10年を迎えるという、このタイミングでの最大震度6強の地震に驚かれた方も多かったんではないでしょうか。地震が起きると、やはり津波が大丈夫なのか、そして福島第一原発をはじめ、あの地域の原発は大丈夫なのか、そういうふうに心配になる方も、今もとても多いんじゃないかと思います。杉田さん、やはり福島の今、そして廃炉の今に向き合うということはすごく大事だと思うんですが、いかがお考えでしょうか?

杉田

3.11から10年たってですね、どうしても記憶が薄れるとかですね、関心が薄れるということを時々言われるんですけども、やはりこの問題はですね、一つは原子力がですね、廃炉の問題、あるいは廃棄物の問題、そういった負の側面を我々が意識せずに結局、電力を得て成長して豊かになるということをここ何十年も続けてきたわけです。その成長の脆弱さ、弱さというものを改めて知るためにも、この廃炉の問題はずっとフォローしていかなくてはいけないし、同時に、それを完全にさら地に返す、そこまでは見届けないと、これは日本人の義務として成り立たないんだろうなと思います。それからさらに言うと、これからの国づくりを考える時に、そういった弱い基盤というんですかね、そのことを十分に認識して、果たして、こういった日本の成長主義みたいな、そういった国づくりでいいのだろうかということを考える上でも、今は本当に重要な時期だと思います。

山口

そうですね。本当に今、お話があったように、東日本大震災をきっかけにエネルギーのあり方とか、生き方とか、考え方が変わってきた方が多かったんじゃないのかなと思うんですよね。きょうは、そのあたりも踏み込んで見ていきたいと思うんですが、まずは福島第一原発が今どうなっているのか、確認していきたいと思います。こちらジオラマをスタジオに用意いたしました。これは福島第一原発を2000分の1のスケールで再現したものなんです。原発事故の復興状況などを発信している一般社団法人『AFW』から、きょうは特別にお借りしてきました。

協力:一般社団法人『AFW』

こちらをご覧ください。事故を起こしました1号機、2号機、3号機、4号機が並んでいます。この敷地全体を見てください。特に目につくのが処理水をためているタンクなんです。タンクどんどんどん敷地ギリギリにまで来まして、今、海側ギリギリのところまで伸びているという状況です。今回、私たちは真山仁さんと一緒に、事故から10年が経とうとしている福島第一原発の今を取材しました。

■真山仁が見た“廃炉の今” 放射線との闘い

福島第一原発からおよそ10キロ離れた、富岡町(とみおかまち)。

山口

「テレビ朝日の山口です」

真山

「真山です。よろしくお願いします」

山口

「きょうはどうぞよろしくお願いします」

真山

「こちらこそお願いします」

全国の原発を取材し、福島第一原発」にも足を運んできた真山仁(まやまじん)。訪れるたびに思い出すのは、いつもあの瞬間だ。2011年3月11日午後2時46分。東日本を襲ったマグニチュード9・0の激しい揺れ。そして福島第一原発の水素爆発…。

原発周辺は、いまもなお線量が高く、立ち入りが厳しく制限されている。帰還困難区域」の広さはおよそ340平方キロメートル。避難している人の数はおよそ2万2000人。

真山

「10年経ってもまだ、ここは単なる小さなフェンスしかないですけど、そこの向こうに行けないというのは、原発事故が起きるとですね、いかに長く影響が残るのかということが非常に象徴的な場所。ここだけは時間が止まってる感じですね」

        

山口

「たった今ですね。バスに乗りまして、福島第一原発の敷地内に入りました。いま、作業の方々も歩いています。目の前に見えるこの真新しい建物、新事務本館です。2016年につくられました。東電の社員などの拠点になっている場所になります」

原発構内で働く作業員は、1日およそ4000人。日々、人類が経験したことのない廃炉作業に挑んでいる。

山口

「この場所には構内で働く作業員4000人分以上の線量計が管理されていて、作業員の皆さんは、ここで線量計を受け取って構内へと入っていきます」

山口と真山も、いよいよ原発内へ…。

山口

「いま線量計を受け取りました。現在はご覧の通りゼロマイクロシーベルト。100マイクロシーベルトが最大の上限になります。

上限に近づかないように、取材を終えなくてはいけません」

事故から10年…。原発内は、我々が想像もしていなかった世界が広がっていた。

10年前、水素爆発が起きた福島第一原発。世界でも類を見ない「廃炉作業」を行っている。最初に訪れたのは正門近くから北に延びる「さくら通り」。

山口

「作業の方ですね、皆さん軽装で歩いています」

作業環境は、年々、劇的に変化しているという。

真山

「自分の足で地面を歩けるところ、(自分が以前に取材した2015年は)ほとんどなかったので、移動は全部バスで、こんな格好ではなく、よくある防護服に完全マスクで、そういう意味ではピリピリしてましたし」

山口

「今年は僕ら、こうやって普通に歩いて普通の軽装で、靴も、自分たちの靴ですもんね」

事故直後は線量が高く、敷地内全体で、全身を覆う防護服が必要だった。それがいまでは、構内96%のエリアで、一般的な作業服と防塵マスクで活動が可能だ。線量低減に貢献したのが、地面にモルタルを吹き付け、汚染された砂ボコリなどが飛び散るのを抑える、フェーシングという作業。

山口

「この辺りは一面がフェーシングされています。もともと地面だったところ、表面の草木を取り除きその上に、モルタルを吹き付けてあるわけですね。さらに、あちらを見てください。もこもこしたフェーシングが見えます。あれは、土嚢を積んだ上に、フェーシングをしたところだということです」

この10年で大きく変わった場所がある一方、事故の爪痕が、いまなお、鮮明に残っている場所もある。メルトダウンを起こし、水素爆発した1号機だ。

その時、いったい何が起きたのでしょうか?地震発生時、福島第一原発では、1号機、2号機、3号機の3つの原子炉が運転中でしたが、核燃料の間に制御棒を挿入し、緊急停止しました。1号機は外部電源を失ないましたが、非常用ディーゼル発電機が起動。熱を放つ、核燃料の冷却が行われました。しかし事態は一変します。午後3時半すぎ、高さおよそ15メートルの津波が襲来。

これは、原発敷地内から撮影された写真です。津波は瞬く間にタンク、そして車を飲み込みました。

4号機のそばでは、高さ10メートルのところに置かれた2つのタンクが…。すさまじい勢いで流れ込んできた海水で、まったく見えなくなってしまいます…。

この津波で、1号機はディーゼル発電機などの電源も失い、核燃料の冷却ができなくなりました。圧力容器内の水は蒸発し続け、大量の熱が発生しました。核燃料は損傷。メルトダウンが起きました。そして翌日の3月12日午後3時36分、1号機で水素爆発が起きました。建屋上部は無残に崩壊。それから10年、1号機はいま…。

山口

「1号機の上の部分、今もご覧の様にむき出しになっています。緑っぽく見えるのがクレーンですね。クレーンが朽ち落ちて斜めになってしまっています。その左手のあたり、天井が落ちた後と思われますが、鉄筋がむき出しになっていますね」

10年経っても、色濃く残る爆発の惨状…。

1号機からは、100mほどの場所。線量が一気に跳ね上がった。

山口

「いま線量どのくらいですか?」

東京電力担当者

「1時間当たり約100マイクロシーベルトになります」

山口

「1時間以上いると?」

東京電力担当者

「はい。もう限度以上。限度を超える」

1時間で「取材打ち切り」の線量。がれきや、重さ160トンほどもあるクレーンから、放射線が出ているという。

東京電力 木元氏

「溶けてしまった燃料から出てきたガスが充満してましたので、それがそういったがれきなどの構造物に付着をして、そこから強い放射線が出ている」

「廃炉作業」は、言い換えれば「放射線との闘い」だ。

この10年、1号機ではどんな作業が行われていたのでしょうか?飛散していた放射性物質の拡散を防ぐため、緊急処置的に、カバーを取り付けました。2011年10月に、設置完了。そのままだと、「廃炉作業」が行えないため、2017年12月にカバーを解体しました。その後、遠隔操作で「がれきの撤去」を進めていましたが、この後、再びカバーを設置するといいます。

真山

「もう1回カバーするのは、がれきを色々作業するのに、いろんなダストが舞ったりするから、1回カバーするんですか?」

東京電力 木元氏

「そういうことになりますね。がさっと崩れてしまうと放射線物質を含んだダスト、舞ってしまう可能性もありますし」

山口

「あのがれきを取り除けるのはいつぐらいになるのでしょうか?」

東京電力 木元氏

「カバーをかけるのが、だいたい2023年ごろを計画していますので、そこから、がれき撤去作業、2~3年かけて、それから燃料を取り出していく。そういったステップになっていきます」

「核燃料の取り出し」。「廃炉の工程」の中でも、特に難しい作業です。取り出す核燃料は2つ。1つは長さおよそ4・5メートル、重さ250キロほどの「「使用済み核燃料」。1号機の燃料プール内には392体が残されていて、いまもなお、熱と放射線を発生させているため、より安全に管理できる場所へと移さなければいけません。そしてもう一つが、原子炉内の核燃料が溶けて構造物と混じりあい、冷えて固まった「デブリ」です。強い放射線を放っています。1号機のデブリは、推定279トン。

内部の線量は、どうなっているのか?こちらは、去年、原子力規制委員会が、1号機の2階を調査した時の映像。一般の人が1年間に浴びても差し支えないとされる被ばく量は、年間1ミリシーベルト。ここは、1時間あたり80から100ミリシーベルトという数値を計測。すぐに退去を余儀なくされた。真山と山口がいた建屋の外と比べると、1000倍の線量。その環境の中で、大量の核燃料とデブリを取り出さないといけないのだ。

メルトダウンを起こした原発の「廃炉」。世界の中でも、ここだけで行われている闘いだ。この知見は人類にとって極めて重要だと、真山は言う。「これをまだまだダメじゃないかと言うのは、確かにそうなんですけど、世界のどこにも起きたことのない事故(処理)をやる以上、どう対応したかということをきっちり残さなきゃいけないという意味では、慎重にやるのはしょうがない」

■廃炉を“記録する”重要性「原発を運転する以上は…」

山口

今回、真山仁さんと一緒に福島第一原発を取材しまして、軽装でも歩ける所もかなり増えたんですけど、やはり1号機から3号機に近づくともうグッと線量が上がってしまう。

真山

そうですね。

山口

時間の制約もある中での取材となりました。まさに現場では、放射線との戦いの中で廃炉作業が続けられているということになると思います。そして、もう一つ今、福島第一原発での対策が行われているのがコロナです。新たに作業に当たる際には、PCR検査を受けることが必要になっています。そして、現場でも感染対策を徹底しているということです。さらに上山さんからです。

上山

改めてこちら現在の福島第一原発のライブの映像をご覧いただきます。夜間も、このように照明がついています。画面向かって左手から、真山仁さんと山口さんが取材した1号機、2号機、そして3号機と続いています。こちらの画面には映っていませんが、昨夜の地震で5号機、6号機の使用済み核燃料プールなどから水の一部があふれ出しました。原子力規制庁によりますと、いずれも少量で、外部への影響はないということです。

山口

真山さんは現場を歩いて繰り返し、「廃炉を記録する」ことの重要性を指摘していました。これの意図するところ、改めてお願いします。

真山

廃炉作業ってみんな普通に言いますけど、厳密に言うと、事故を起こした原発の廃炉作業なんですよ。廃炉という作業自体はですね、過去にも世界で事故、起きてますけど、ここまで徹底的に注目されて記録しているのは現状ないんですよ。もちろん、廃炉にしていく時に色んな、安全にして早く元に戻さなきゃいけないみたいなミッションはあるんですけど、何よりやっぱり一つひとつ慎重にチェックしていくことを記録して、それはこれから、また残念ですけど、また事故は起きるので、おそらく原発を運転している以上は…。その時のやっぱり、絶対の知恵であり、参考にならないといけないんですね。だから、さらに今、事故の原因というのは100%分かっているわけではない。廃炉作業しながら事故の原因も知り、さらにもう一つ大事なのは、事故が起きた時に、あるいは起きないようにするためには、どこをもう少し工夫しなければいけないか、というのも重要なんです。なので早くやることよりも、丁寧かつしっかりと記録して、例えば今、記録していることが今は役に立たないかもしれないんですが、将来的にものすごく重要なワンポイントになる可能性があるんですね。だから、そういう意味では、私は慎重にしっかりやってほしいと思っております。

山口

まさに、メルトダウンしてしまった核燃料を取り出す廃炉というのは、世界で初めて行われているということですから、この知見が本当に生きてくるということになると思うんですね。改めて今、それぞれの建屋に残っている核燃料がどういう状態なのか、確認しておきたいと思います。まず1号機の最上階のプールには、「使用済みの核燃料」。さらに、圧力容器と格納容器には、溶け落ちた核燃料「デブリ」が残ったままです。2号機も同様に、プールには「使用済み核燃料」、さらに「デブリ」も残ったままです。

一方で、3号機は、「使用済み核燃料」を取り出している最中です。来月中にはすべて取り出し完了となる見通しですが、ここでも「放射線との闘い」が続いていました。

東京電力は2月28日、3号機の使用済み核燃料プールからの核燃料取り出しについて、すべての作業を完了したと発表しました。

■真山仁が見た“廃炉の今”核燃料取り出し

真山

「もう発電所じゃないですよ。これ見ててですね、何するところだろう?と、想像できる人、ほとんどいないと思うんですよ。ドームだってあれ、いったい何なんだろう?と」

実はこの建物、水素爆発した3号機です。

3号機は2011年3月11日の津波襲来後も、被害を免れたバッテリーで原子炉へ注水。核燃料の冷却を続けていました。しかし、そのバッテリーが枯渇。別の注水方法を試みましたが、うまくいかず、水位が低下。メルトダウンが起きました。その結果。3月14日午前11時ごろ、水素爆発。

無残に崩壊した建屋は、10年で大きく変貌を遂げていました。ドーム型の構造物は、建屋内の核燃料取り出しにあたって設置したカバーです。直径およそ19m、長さは60m近く。重さ450tほど。放射性物質が飛び散るのを防ぐためにつくられました。3号機で最初に行われた「廃炉作業」は、散乱していたがれきの撤去でした。

2017年1月からは、世界でも類をみない方法で、カバーの設置を開始。クレーンで持ち上げる重さに限界があるため、パーツを分けて組み立て。さらに、作業員の被ばく量を抑えるため、3点で簡単に止められる形にして作業時間が短く済むようにしました。2018年2月に完成。遠くから見ると、ドーム型のカバーに目がいきます。

しかし、近づくと様相は一変した…。

山口

「この辺りはだいぶ壁が崩れ、あそこ大きな穴が空いて崩れてますね/あそこが元々壁があったわけですよね」

真山

「そうですそうです。壁が外れた」

山口

「壁が吹き飛んだ後ですよね。水素爆発で。中が、壁が吹き飛んだので、見えるようになっています」

山口

「いま3号機の真横を歩いています」

真山

「こういうのを見てるとね」

山口

「そうですね。これ何のパイプだったのか、途中で途切れて、崩れてます」

真山

「切れてますからね」

山口

「この辺の壁も、もう吹き飛んじゃったんだな。中が、丸見えになってますね」

その時、真山がある事に気づいた。

真山

「鉄筋を見てほしいんですけど、鉄筋の曲がり方。原発は、ものすごい間隔の狭い間に鉄筋をたくさん入れて、それをコンクリートで詰める。普通のビルと違う密度が、安全性をずっと担保してたんですけど、あれだけ見てたら細かい鉄筋が曲がってますよね。あれ、人の力では絶対に曲がらないので」

真山

「ちょっとこの、巨大構造物が異様ですね」

山口

「上に巨大なドームが見えてます。非常に近い場所を歩いてます。このあたり線量がとても高いので、止まるなという指示で、我々歩きながら、いま取材しています」

事故当時、3号機内にあった「核燃料」は566体。そして、「デブリ」は推定364トン。

山口

「いまの3号機の現状を教えてください」

東京電力 木元氏

「はい、ドーム状のカバーの中にですね、使用済み燃料プール、最上階のプールです。それから燃料を取り出すクレーンなどが設置されています。いま、そこで遠隔になるんですけども、燃料を取り出す作業を、やってるところになります」

「核燃料取り出しを開始」したのは、2019年4月から。プール内にある核燃料のハンドル部分をつかみ…水中で一体ずつ輸送容器へ移動。その後、クレーンを使って地上まで吊り下ろし、トレーラーに載せて、別のプールへ輸送しています。

山口

「3号機から直線距離で400mほど離れた場所にあります。免震重要棟にいます。この中が遠隔操作室なんですね。中に入りますと、モニターがたくさん並んでいます。映っているのは、3号機の内部です。現場は線量が非常に高いので、この場所から遠隔で使用済み燃料の取り出し作業を今まさに、行っているところです」

指揮者など、作業員の椅子には、役割が書かれている…。作業は分担して行っている。操作は繊細で、難しい。時には、「4・5メートルの核燃料を1秒に1cmずつ動かす」という。

ミスがないよう、声をかけあう。「じゃあ、今の状態が良いみたいです」「はい!」「キュー」「キュー」「キュー」

真山

「一番気になるのは、おそらく普通のまっすぐの燃料棒じゃないもの、たぶん最後残ると思うんですけど…」

「使用済み核燃料」の中には、水素爆発などの衝撃でがれきが落下し、取っ手が変形。容易につり上げられないものがある。

東京電力 木元氏

「がれきを取りながら変形をしてるかどうか、確認しながらやってきました。専用の掴む治具を取り付けて、その変形した燃料はつり上げるという事をやっていきます」

残りは31体。最後に変形した燃料の取り出しが待ち受けている。

東京電力は2月28日、3号機の使用済み核燃料プールからの核燃料取り出しについて、すべての作業を完了したと発表

「取り出した核燃料」が保管されているのが「共用プール」と呼ばれる場所。放射性物質が、体や衣服に付着するのを防ぐため、防護服や全面マスクなどを着用し、向かった。

ここが、その「共用プール」。核燃料は原子炉で使用した後も、長期間放熱をするため、プールの水で冷却し続けている。

山口

「どのぐらい入っているんですか?」

東京電力 木元氏

「容量としては、6700体以上貯められるもの。いま97%くらい、6500体以上ここに入っています」

収容スペースは、残りわずか3%。この先、1号機などの核燃料も運ばれてくるため、別の保管場所を確保する必要がある。しかし…。

東京電力 木元氏

「そういった場所探すのは、厳しくなっているのが現状。福島第一の中でエリアを確保しなければならない。それは、一つの課題であります」

「作業の困難さ」に加え、「保管場所をどう確保するか?」という問題。そんな中、すでに「核燃料取り出し」を終えたところもある。

2011年3月15日午前6時14分に水素爆発が起きた4号機です。事故から10年、4号機も、その姿を大きく変えていました。

山口

「4号機は全然違う構造物に見えるんですが?」

東京電力 木元氏

「2013年には(燃料取り出し用)カバーができて、白い部分がカバーになっていますけどもこれがこう覆いかぶさるように、片持ちの構造になっているんですね。要は太い足で支えて、荷重が建物にかからないように、非常に太い鉄骨になってます」

2014年12月には、1535体全ての使用済み核燃料を取り出しました。廃炉に向けては、「建屋の解体」などが残っていますが、緊急性は低く、まだ着手していません。

福島第一原発を壊滅状態に追い込んだ津波。その爪痕が残っていた。

山口

「真山さん、あそこが津波が到達した地点ということですね。やっぱり、まだ色がちょっと残っていますよね」

真山

「これだけ見てみると5mらいしかないんですけど、海抜10mなんで15mまで上がって来ている」

山口

「あの高さまで、津波が来るというのがここだと想定外だったという事ですかね」

真山

「15mくらいの高さをキープできるか、防潮堤をつくることが絶対必要になると思いますね」

福島第一原発の津波対策はいま、どうなっているのか?震災の時にはなかった「防潮堤」が完成していた。

山口

「海抜11メートルの高さがある新しい防潮堤が今、後ろにあります。そして、その横がですね、ちょうど4号機のタービン建屋の前なんですが、この辺り整備されて、だいぶ綺麗になりました」

これは、防潮堤を海側から撮影した映像だ。海抜11m。長さはおよそ600m。去年9月に出来上がったばかりだ。ところが、この後、もう一度工事をするという。

東京電力 木元氏

「国の見解で日本海溝・千島海溝沿いで(巨大地震が)起こった時の津波、この高さが、15mクラスのものが来るという見解出ましたので、それを超える16mくらいの高さになると思います。2021年、着手をして、それから3年くらいかけて、築堤していこうという計画で今、考えております」

真山

「一般的に考えるとですね。15mの津波が実際に襲ったわけですよね。それを防止するなら10mじゃなくて、最初から15mにしたらとい良いんじゃないかと、普通は考えると思うんですけど?」

東京電力 木元氏

「福島第一は様々なリスクをまだ抱えております。どれが一番リスクが高いかというところを下げていくところで廃炉作業してきました。その中で全てのこと一度に行えればいいですけど、なかなか難しい」

山口

「原発に対して防潮堤がなかった、津波への備えが十分じゃなかったというのは、この10年という節目で振り返ってどんな風に感じていますか?」

東京電力 木元氏

「当時、評価をしていた高さが6・1m。それは、我々の評価、専門家の評価も含めて、その高さで設計していた。じゃあそれで十分だったかと言われれば結果的に十分ではありませんでした。それを見直すチャンスは、何回も実はあったんですが、3.11を先に迎えてしまったという状況でした。我々はそれをしっかり反省をしなければいけない。設備を高めていく、安全性を高めていく、これはしっかり、今後の我々がやっていかなければならない仕事の一つだなと考えております」

■事故10年…変貌する現場「次のステージに」

山口

きょうは作家の真山仁さんと一緒に福島第一原発の”廃炉の今”を考える特集をお送りしています。もう一回、ジオラマでご説明したいのですが、特に今、線量が高かったのはこの2号機と3号機の建屋の間。私たち歩いたんですね。この3号機のこの側面の部分、壁が破壊されて抜けていますから、そこから非常に高い放射線が確認されたということで、線量が高いので止まることは許されずに、歩いてここを移動しながら取材しました。

ですから、この3号機の建屋の中で、廃炉の作業をするとなった時、当然、非常に大変な作業になるということが考えられますが、真山さんは、この福島第一原発取材を続けてますよね。これまでと比較して、どういうところが変わってきたのか、この10年という節目、どのように捉えていますか?

真山

はい。2015年6月と2019年12月に取材しているんですけれども、前回の取材から1年ぐらいしか経ってない時に行ったんですが、何が感動したかって、あの側面を歩けたことですね。そんなのはもう到底想像できなかった。

山口

3号機の横の所ですね?

真山

はい。もう一つ、やっぱり感動に近いんですけど、海岸沿岸部を歩くというのは、まさかここまで歩けるのかと、しかも、がれきも何もなくなってしまっていて、ほぼ普通の状態で歩けたというのは大きかったですね。やっぱり事故が起きた建物を見る時に、どちらかと言うと、ずーっと正面側から見ていて、平面に近い見方しかできなかったんですけども、反対側の海岸の側面を見ることで、やっぱり見えてなかった事故の状況みたいなのが見えてくるというのがやはり大きくてですね、なかなか進まなかった廃炉作業とずっと言われてますけど、私としては着々と進んでるのは進んでるんだなあっていうのはすごい感じましたね。

山口

確かにこのタービン建屋の海側の所ですよね。海沿いはかなり綺麗に整備されて、ちょっと隠れているのですが、ちょうどこのへんになるのですけどね。ここを私たちは歩くことができたということになるわけですけれども、

ただ津波対策がどうだったのかというのは、本当にどうしても引っかかってしまうところで、この点について先ほどVTRにもありましたが、東京電力の担当、木元さんが取材に同行して、こう語りました。「当時評価していた津波の高さが6.1メートルだった。それで十分だったかと言われれば、結果的には十分ではありませんでした。これを見直すチャンスは、実は何回もあったんですが、3.11を先に迎えてしまった。我々はそれをしっかりと反省しなければいけない」。真山さん、東京電力の対応については、これまでの取材と比較していかがですか。

真山

割と何て言うのか、正直に答えてくる、ためらいなく答えてくるというのがあるんですね。失敗を認めるって、人間でもそうですけど、なかなか難しいことです。失敗をちゃんと認めて、そこに言い訳もなければためらいもないっていうのは、やっぱりこの10年で東京電力が腹をくくってきているんだろうなっていうのが一つあります。ただ、これはある意味、次のステージに来ている印象があるんです。つまり東京電力としては、とにかくわかる範囲の問題点、失敗、さらに自分たちができなかったことを全部オープンにしているわけです。原発事故のこれから、廃炉を見直していくということは日本全体の問題である。つまり自分たちが失敗を出してきたのに、日本全体でこれからの廃炉をどう考えていくんでしょうかということを、この人たちは問うてきているんじゃないかという。だから、今までは、あなたたちがダメだったんでしょとか、ダメだったんです、こうなってしまいました、皆さんの力が必要ですと言われた時に、言われた人たちはどう見るんだろうなっていう、このステージこそがおそらく10年の節目でですね、多くの日本の人が一から考えなくてはならないことではないのかなっていう風に思いました。

山口

確かに10年の節目で私たち一人ひとりもしっかり向き合わなくてはいけない。本当にその大きな問題だと思うんですよね。杉田さんはどうでしょうか?この福島第一原発の廃炉というのは、世界はどう見ているのか?このあたりいかがですか?

■世界は福島第一原発の廃炉をどう見ているのか

杉田

世界はものすごく注目していますよね。一般的に廃炉作業というとアメリカの原子力規制委員会、EUの規定などを見ると、3種類がある。1つは普通の原発が寿命を迎えて、そこを解体してさら地に戻すと。2つ目は何らかの事故なり汚染が酷い場合。これは50年間放置して安全管理してその後解体する。3つ目はいわゆるチェルノブイリ型なんですけど、石棺型と言いまして、事実上、半永久的にそこを閉じ込めてしまう。もちろん、土地はずっと使えないということですよね。

この3つの中で当然、福島の場合は①というのはなかなか難しいと、じゃあ②になるのかどうかというところだと思うんですよ。それで福島の廃炉についてはですね、常にEUやIAEA(国際原子力機関)などが色んな調査をして、報告書を出しているんですけども、それを見ますと、まずいくつか批判しているんですね。1つは最終形がどこになるのかよくわからない。こういう①②③、どこになるかわからない。

それから2つ目はデブリ。これから出てくると思うのですけど、この取り出しが非常に難しい場合は、何か技術的に新しいことを考えなくてはいけないという問題。それから3つ目は今のタイムスケジュール、30~40年。これがちょっと楽観的すぎるでしょっていうこと。それからさらに言うと、デブリを含めて取り出した核燃料棒含め廃棄物をどこに保管するんですか?取り出すのは良いけどどうするのですか?というこういった問題がなかなかクリアになっていないので、やはり全体像が見えてこない中で、段々時間が経っていくだけではないかという批判がされているわけです。

山口

確かに向き合わなくてはならない問題、本当は山積しているのは事実です。

(2021年2月14日放送)

※番組後半は、廃炉作業の最大の難関とされる、溶けた核燃料「デブリ」の取り出しを特集しました。新たに、高線量での汚染が発覚し、「デブリ」取り出しの工法の見直しも取りざたされています。
「真山仁が見た原発事故10年≪後半≫デブリ取り出しに新たな壁」はこちら