番組表

放送内容

ザ・偉人伝
「淡谷のり子・渡辺はま子・笠置シヅ子」
~戦火を越えた昭和歌謡の女王~

 
●十年に一度のソプラノ(淡谷)――実家の呉服屋が大火で焼失し、破産に追い込まれ、生まれながらに苦労を背負いこんだのり子。女学校を中退し、母、妹と青森から上京するも経済苦により音楽学校を1年休学。復学後、「十年に一度のソプラノ」と絶賛された首席で卒業する。
 
●教師と歌手の二足の草鞋(渡辺)――英語教師の父、アメリカ人の血を引く母の間に生まれたはま子。音楽学校を優秀な成績で卒業し、日本ビクターにスカウトを受け、プロ歌手の道へ。母校の講師にも採用され、二足の草鞋を履く中、「ひとり静香」がヒット。流行歌の歌手となる。
 
●服部良一との出会い(笠置)――香川県に生まれ、生後半年で養女に出される。幼少の頃から歌と踊りが大好きで、松竹楽劇団旗揚げ公演で服部良一と出会う。ジャズ歌手として売り出されるも、戦争の余波を受け、敵性音楽と見なされるなど、資金繰りは困難を極めた。
 
●クラシック歌手からブルースの女王へ(淡谷)――クラシック歌手として活動するも、世界恐慌が始まり、家計を支えるために流行歌を歌う。シャンソン・ラテン等の日本語歌唱の先駆者として活躍し、「別れのブルース」「雨のブルース」がヒット。“ブルースの女王”の地位を確立する。
 
●チャイナ・メロディーの女王誕生(渡辺)――昭和11年にヒットした「忘れちゃいやヨ」が、歌唱方法が不適切とされ発売禁止になるも、戦時歌謡「愛国の花」が大ヒットし、「支那の夜」「広東ブルース」などの大陸を題材にした曲が支持を受け、『チャイナ・メロディーの女王』と呼ばれる。
 
●どん底から生まれたブギの女王(笠置)――戦争が激化し、弟が戦死。婚約者との間に命を宿すも先立たれるなど、どん底の中で歌ったのが昭和22年「東京ブギウギ」だった。その後も「買物ブギー」や「ジャングルブギー」などヒットを連発し、ブギの女王と呼ばれる。
 
●敵も味方も歌で包み込む(淡谷)――第二次世界大戦中の慰問活動を精力的に行う。が、軍部の命令に従わず、戦時中は禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包んだほか、軍歌は歌わなかった。敵国の捕虜がいた場合は、あえて英語で歌い、分け隔てなく励ましの歌を送った。戦後はテイチク、ビクター等に在籍し、85歳で新曲を発表。晩年まで歌手であり続けた。
 
●捕虜になっても歌い続ける(渡辺)――終戦を迎えた地が、慰問先の中国大陸だったため、捕虜とし収容生活を送る。歌で日本人捕虜たちを支え、戦後はフィリピンの刑務所に収容されている日本人戦犯の救出に奔走し、日本人戦犯の釈放を決断させ、108名の命を救った。
 
●ブギから喜劇の女王へ(笠置)――戦後は映画界に進出し、喜劇女優としての地位を確立。女手ひとつで育てている娘のために少しでも長く仕事をしたいと、昭和32年、43歳で歌手を廃業し、女優業に転身。唯一無二の存在感で多くの人に親しまれた。
 
ブルースの女王・淡谷のり子、ブギの女王・笠置シヅ子、チャイナメロディーの女王・渡辺はま子。戦前から戦後にかけ、歌に生き、歌に命を捧げた女王たちを突き動かしたものは何なのか?日本が最も激動だった時代に世の中を照らし続けた女王たちの人生を紐解く2時間です。
 
〈インタビュー〉
五大路子、キムラ緑子、榊原郁恵、岩崎宏美、宮本隆治、服部隆之(服部良一の孫)、亀井ヱイ子(笠置シヅ子の娘)、加藤征子(渡辺はま子の娘)
 

五大路子
キムラ緑子
榊原郁恵
岩崎宏美
宮本隆治