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エンタメ・音楽
童謡でめぐる日本の四季
#130
子供たちに残したい 美しい日本のうた
2025年5月3日(土)午前11:00~ひる12:00
報道・ドキュメンタリー
昭和産業 代表取締役会長 新妻一彦 後編二度と社員のクビは切らない 決意した子会社廃業
#108
トップの源流
2025年5月3日(土)よる6:00~6:30
旅・くらし
はじたびっ! ~本州のはじっこ 山口と盛岡をふかわが行く~
はじたびっ!~本州のはじっこ 山口と盛岡をふかわが行く~
2025年5月3日(土)深夜1:30~2:30
情熱のアジアン・デッキディナー
#167
飛鳥物語II
2025年5月3日(土)午前9:55~10:00
梶田伸吾 株式会社comvey 代表取締役
#522
fresh faces
2025年5月3日(土)よる8:54~9:00
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
BS朝日×地方創生
BS朝日が取り組む地方創生:『発信』と『体験』“知る人ぞ知る地域の魅力”にフォーカス
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『激動の昭和を歌で潤した音楽人』 作曲家 浜口庫之助/作詞家 星野哲郎 多くのスター歌手に代表曲をもたらし、歌謡界を牽引した浜口庫之助と星野哲郎。ポップスと演歌・・・・畑違いに見える2人には、下積み時代を共に過ごした意外な接点、出会いががありました。 作曲家:浜口は「星のフラメンコ」「夜霧よ今夜も有難う」「夕陽が泣いている」「人生いろいろ」・・・・・ 作詞家:星野は「アンコ椿は恋の花」「函館の女」「三百六十五歩のマーチ」「兄弟船」「風雪流れ旅」「たそがれの銀座」「みだれ髪」・・・・。 その時代の多くの大衆の心を魅了し潤した名曲の数々。その詞とメロディが人々を揺さぶるのは、なぜでしょうか? 戦争、貧困、病、下積み・・・・多くの荒波を乗り越えて数々の名曲を紡いだ浜口と星野。二人の歩みを辿るとともに、二人の人生を変えた出会いを探り、名曲誕生のウラ側に迫ります。
作曲家 浜口庫之助
作詞家 星野哲郎
●潰えた夢の欠片〈浜口〉――音楽を愛する一家に生まれ、5才で楽譜を読めるまでに。 浜口はジャズにのめり込むが、戦況の悪化から音楽活動を断念して実業界へ。 赴任先のインドネシアで終戦を迎え、収容所送りに。帰国を指折り数える日々の中、音楽への渇望が募る。
●闘病に苦しんだ青春(星野)――瀬戸内に浮かぶ島(山口県)に生まれた星野。船乗りになる夢を描き、商船学校に学んで遠洋漁業の乗組員になるが、腎臓結核に冒されて船を降りることに。絶望の中、詩や小説を書くことで心を慰めた。それが作詞家人生へつながる。
●紅白出場と転機(浜口)――帰国した浜口はラテンバンドを結成。3年連続で紅白歌合戦出場を果たすほどの成功を収める。ところが、自分の活動に疑問を抱き、「日本人として誇れる日本の歌を作りたい」と、すべてを投げ捨て作曲家へ。40歳の無謀に見える転身だった。
●新たな夢への切符(星野)――雑誌の懸賞に挑戦した星野は、作詞家・石本美由起に見出され「チャイナの波止場」でデビュー。その後、「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が美空ひばりによってレコード化。33歳でコロムビアの専属作詞家に。遅咲きの再出発だった。
●異質の才能が出会う(浜口・星野)――30代の新人作詞家・星野と、40代の新人作曲家・浜口は、レコード会社の指示で無理矢理コンビを組むことに。育った音楽環境が全く違う二人。戸惑いながらも徐々に化学反応を起こし、「黄色いさくらんぼ」のヒットが生まれる。
●クラウン騒動と愛妻物語(星野)――「なみだ船」「アンコ椿は恋の花」で実績を重ねた星野は、コロムビアからクラウンに電撃移籍。だが移った作詞家は星野だけ。ほぼ全曲の詞を一人で任される試練が続いた。そんな星野を陰で支えた妻・朱實の献身と愛妻物語とは…。
●ハマクラ・メロディが完成(浜口)――「星のフラメンコ」「バラが咲いた」のヒットで認められると、石原裕次郎との出会いが「夜霧よ今夜も有難う」「粋な別れ」「恋の町札幌」などを生む。常に社会情勢を掴み、大衆のため、わかりやすい言葉で歌づくりをする、「ハマクラ・メロディ」が確立した。
●演歌より「援歌」「縁歌」(星野)――「昔の名前で出ています」「風雪ながれ旅」「兄弟船」「夫婦坂」と、レコード会社の垣根を越えて名曲を残し、女王・美空ひばりに「みだれ髪」を捧げた。星野は自らの作品を、人を励ます「援歌」や出会いを歌う「縁歌」と呼ぶことを好んだ。
●文字通り「人生いろいろ」(浜口)――華麗なる恋愛遍歴に終止符を打ち、女優・渚まゆみと結婚。57歳で愛娘が誕生し、子育てに目覚める。晩年にはがんが発覚。凄まじい闘病生活を経て、島倉千代子に「人生いろいろ」を贈るに至った境地とは…。
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『激動の昭和を歌で潤した音楽人』 作曲家 浜口庫之助/作詞家 星野哲郎
多くのスター歌手に代表曲をもたらし、歌謡界を牽引した浜口庫之助と星野哲郎。ポップスと演歌・・・・畑違いに見える2人には、下積み時代を共に過ごした意外な接点、出会いががありました。
作曲家:浜口は「星のフラメンコ」「夜霧よ今夜も有難う」「夕陽が泣いている」「人生いろいろ」・・・・・
作詞家:星野は「アンコ椿は恋の花」「函館の女」「三百六十五歩のマーチ」「兄弟船」「風雪流れ旅」「たそがれの銀座」「みだれ髪」・・・・。
その時代の多くの大衆の心を魅了し潤した名曲の数々。その詞とメロディが人々を揺さぶるのは、なぜでしょうか?
戦争、貧困、病、下積み・・・・多くの荒波を乗り越えて数々の名曲を紡いだ浜口と星野。二人の歩みを辿るとともに、二人の人生を変えた出会いを探り、名曲誕生のウラ側に迫ります。
作曲家 浜口庫之助
作詞家 星野哲郎
●潰えた夢の欠片〈浜口〉――音楽を愛する一家に生まれ、5才で楽譜を読めるまでに。
浜口はジャズにのめり込むが、戦況の悪化から音楽活動を断念して実業界へ。
赴任先のインドネシアで終戦を迎え、収容所送りに。帰国を指折り数える日々の中、音楽への渇望が募る。
●闘病に苦しんだ青春(星野)――瀬戸内に浮かぶ島(山口県)に生まれた星野。船乗りになる夢を描き、商船学校に学んで遠洋漁業の乗組員になるが、腎臓結核に冒されて船を降りることに。絶望の中、詩や小説を書くことで心を慰めた。それが作詞家人生へつながる。
●紅白出場と転機(浜口)――帰国した浜口はラテンバンドを結成。3年連続で紅白歌合戦出場を果たすほどの成功を収める。ところが、自分の活動に疑問を抱き、「日本人として誇れる日本の歌を作りたい」と、すべてを投げ捨て作曲家へ。40歳の無謀に見える転身だった。
●新たな夢への切符(星野)――雑誌の懸賞に挑戦した星野は、作詞家・石本美由起に見出され「チャイナの波止場」でデビュー。その後、「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が美空ひばりによってレコード化。33歳でコロムビアの専属作詞家に。遅咲きの再出発だった。
●異質の才能が出会う(浜口・星野)――30代の新人作詞家・星野と、40代の新人作曲家・浜口は、レコード会社の指示で無理矢理コンビを組むことに。育った音楽環境が全く違う二人。戸惑いながらも徐々に化学反応を起こし、「黄色いさくらんぼ」のヒットが生まれる。
●クラウン騒動と愛妻物語(星野)――「なみだ船」「アンコ椿は恋の花」で実績を重ねた星野は、コロムビアからクラウンに電撃移籍。だが移った作詞家は星野だけ。ほぼ全曲の詞を一人で任される試練が続いた。そんな星野を陰で支えた妻・朱實の献身と愛妻物語とは…。
●ハマクラ・メロディが完成(浜口)――「星のフラメンコ」「バラが咲いた」のヒットで認められると、石原裕次郎との出会いが「夜霧よ今夜も有難う」「粋な別れ」「恋の町札幌」などを生む。常に社会情勢を掴み、大衆のため、わかりやすい言葉で歌づくりをする、「ハマクラ・メロディ」が確立した。
●演歌より「援歌」「縁歌」(星野)――「昔の名前で出ています」「風雪ながれ旅」「兄弟船」「夫婦坂」と、レコード会社の垣根を越えて名曲を残し、女王・美空ひばりに「みだれ髪」を捧げた。星野は自らの作品を、人を励ます「援歌」や出会いを歌う「縁歌」と呼ぶことを好んだ。
●文字通り「人生いろいろ」(浜口)――華麗なる恋愛遍歴に終止符を打ち、女優・渚まゆみと結婚。57歳で愛娘が誕生し、子育てに目覚める。晩年にはがんが発覚。凄まじい闘病生活を経て、島倉千代子に「人生いろいろ」を贈るに至った境地とは…。