番組表
閉じる
メニュー
報道・ドキュメンタリー
想いよ届け!松谷鷹也の「栄光のバックホーム」〜密着!横田慎太郎への旅路~
2026年1月2日(金)よる11:00~深夜0:00
旅・くらし
B食の旅 近藤春菜&渡辺隆編
B食の旅
2026年1月2日(金)よる10:00~10:54
甘い魔法にかかったボク~老舗人形店 若き四代目
日本のチカラ
2026年1月2日(金) あさ5:25~5:55放送
エンタメ・音楽
HAPPY ANNIVERSARY NEW YEAR SPECIAL
#1126
ベストヒット USA
2026年1月1日(木)よる11:00~深夜0:00
お正月! 3時間スペシャル 第1夜
#280
人生、歌がある
2026年1月1日(木)よる7:00~9:54
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
BS朝日×地方創生
BS朝日が取り組む地方創生:『発信』と『体験』“知る人ぞ知る地域の魅力”にフォーカス
BS朝日セールスサイト
効果的な広告配信でビジネスをサポート。 お気軽にご相談ください。
『トップスターが愛した珠玉のメロディー』 作曲家・𠮷田正/弦哲也 「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」(𠮷田正)、「天城越え」「東尋坊」(弦哲也)など、時代に新たな風を吹き込んだ名曲の数々で歌謡界の黄金期を築いた巨人たち。令和になった今もなお色褪せぬメロディーの源泉に迫ります。
●歌で乗り越えたシベリア抑留生活(𠮷田)――仲間と楽団を組んで楽しむ程、子供の頃から音楽が好きだった𠮷田。就職し、その後陸軍に入隊。敗戦後、シベリアに抑留されてしまう。生死をさまよいながらも、戦友を元気づけるために歌を作り、共に歌いながら励まし合った。 ●14歳で上京したギター少年(弦)――古賀メロディーや田端義夫に影響を受け、ギターに夢中になった弦。歌手への夢が芽生え、中学の恩師の計らいで井沢八郎の育ての親、大沢浄二と出会う。「中学を卒業したら東京へ出てきなさい」と伝えられたが待ちきれず14歳で上京。 ●運命を分けたのど自慢(𠮷田)――復員する前の1948年、NHKラジオの素人のど自慢で、シベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い、話題に。その歌こそ、𠮷田がシベリア抑留中に作曲し、抑留兵の1人が詩をつけて抑留地に広まった歌だった。 ●挫折と転機(弦)――高校へ通いながら修行を続け、デビューを果たすがヒットに恵まれない日々。家庭を持つも生活は困窮し、子供を実家に預け、妻と二人で奔走する。そんな弦に作曲家を勧めたのが北島三郎だった。デビューから15年、「ふたり酒」のヒットで道が拓いていく。 ●新時代の歌謡曲(𠮷田)――復員後、ラジオの反響もあり日本ビクターの専属作曲家に。今までにない歌謡曲の世界を追求し、「有楽町で逢いましょう」「誰よりも君を愛す」「いつでも夢を」など、これまでの歌謡曲にないリズム歌謡の世界を構築。2400曲もの作品を遺す。 ●歌謡のバトンを未来へ(弦)――作曲家に専念し、1986年、「天城越え」が大ヒット。日本レコード大賞金賞を受賞。美空ひばり、石原裕次郎にも曲を提供し、水森かおりの「東尋坊」「鳥取砂丘」など、今なお多くの名曲を生み続けている。日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を務め、先人から受け継いだ歌謡のバトンを未来へとつないでいる。 日本作曲家協会会長、名誉会長を歴任し、逝去後、国民栄誉賞を受賞した𠮷田。日本レコード大賞𠮷田正賞を受賞し、日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を名曲を後世に繋ぐ弦。二人の巨人が歩んだ軌跡、見つめた景色を追体験する2時間を届けます。 〈インタビュー〉 水森かおり、川中美幸、由紀さおり、三田明、宮本隆治、𠮷田裕(𠮷田正甥)他
前へ
『トップスターが愛した珠玉のメロディー』 作曲家・𠮷田正/弦哲也
「有楽町で逢いましょう」「いつでも夢を」(𠮷田正)、「天城越え」「東尋坊」(弦哲也)など、時代に新たな風を吹き込んだ名曲の数々で歌謡界の黄金期を築いた巨人たち。令和になった今もなお色褪せぬメロディーの源泉に迫ります。
●歌で乗り越えたシベリア抑留生活(𠮷田)――仲間と楽団を組んで楽しむ程、子供の頃から音楽が好きだった𠮷田。就職し、その後陸軍に入隊。敗戦後、シベリアに抑留されてしまう。生死をさまよいながらも、戦友を元気づけるために歌を作り、共に歌いながら励まし合った。
●14歳で上京したギター少年(弦)――古賀メロディーや田端義夫に影響を受け、ギターに夢中になった弦。歌手への夢が芽生え、中学の恩師の計らいで井沢八郎の育ての親、大沢浄二と出会う。「中学を卒業したら東京へ出てきなさい」と伝えられたが待ちきれず14歳で上京。
●運命を分けたのど自慢(𠮷田)――復員する前の1948年、NHKラジオの素人のど自慢で、シベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌い、話題に。その歌こそ、𠮷田がシベリア抑留中に作曲し、抑留兵の1人が詩をつけて抑留地に広まった歌だった。
●挫折と転機(弦)――高校へ通いながら修行を続け、デビューを果たすがヒットに恵まれない日々。家庭を持つも生活は困窮し、子供を実家に預け、妻と二人で奔走する。そんな弦に作曲家を勧めたのが北島三郎だった。デビューから15年、「ふたり酒」のヒットで道が拓いていく。
●新時代の歌謡曲(𠮷田)――復員後、ラジオの反響もあり日本ビクターの専属作曲家に。今までにない歌謡曲の世界を追求し、「有楽町で逢いましょう」「誰よりも君を愛す」「いつでも夢を」など、これまでの歌謡曲にないリズム歌謡の世界を構築。2400曲もの作品を遺す。
●歌謡のバトンを未来へ(弦)――作曲家に専念し、1986年、「天城越え」が大ヒット。日本レコード大賞金賞を受賞。美空ひばり、石原裕次郎にも曲を提供し、水森かおりの「東尋坊」「鳥取砂丘」など、今なお多くの名曲を生み続けている。日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を務め、先人から受け継いだ歌謡のバトンを未来へとつないでいる。
日本作曲家協会会長、名誉会長を歴任し、逝去後、国民栄誉賞を受賞した𠮷田。日本レコード大賞𠮷田正賞を受賞し、日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を名曲を後世に繋ぐ弦。二人の巨人が歩んだ軌跡、見つめた景色を追体験する2時間を届けます。
〈インタビュー〉
水森かおり、川中美幸、由紀さおり、三田明、宮本隆治、𠮷田裕(𠮷田正甥)他
前へ